手元供養センター
外資の手先になる日本人繰り返すが、これは日本の東証一部市場に上場している誰もがその名を知っている金融会社の提案であり、それを連れてきたのは日本の取引銀行である。
本件は潰したが、この案件を持ち込んで来た銀行役員は、数カ月後に銀行を退職すると、何とこの金融会社に再就職した。
あえて銀行名は伏せるが、モラルの低下には開いた口が塞がらない。
強欲資本主義に侵されているのは、決してハゲタカ外資だけではない。
日本の金融機関も同じなのだ。
儲けるためには何でもする。
日本企業を餌食に一儲けを企む外資と、その手先になる日本人たちがいる。
それを真似する日本人がいる。
はたしてこれがグローバル・スタンダードの「進化した金融」なのだろうか。
これが日本の人々の生活の向上に繋がることなのだろうか。
三百六十度どこから見ても、「いかに人を、また企業を食い物にするか」という、品位のかけらもないマネー・ゲームに過ぎないだろう。
このような話は続ければきりがない。
私どもは、このように各企業の黒子に徹して、市場には一切顔を出さないようにしながら、経営陣に財務、ならびに企業戦略のアドバイスをしているが、ここに述べたような「ヘドが出るような話」に出会うことは、もはや「異常」ではなく、「日常」になってしまっているのだ。
私は、こうした新種の「強欲」病は、日本人の伝統的な美徳を喪失させ、日本人を日本人ではなくしてしまうのではないかと危倶している。
例えば、コツコツとモノ作りに励むこのことを忘れてしまったら、それはもう日本人ではないとさえ私は思う。
会社は唯一株主だけのもの。
株主のためだけに働く。
こうした考え方も日本の伝統的な価値観に反する。
日本人に似合うのは「会社は皆の物」という考え方であり、しかもそれは正しい。
株主とはむしろ総ての関係者に対する責任を果たし、その上で「ボトム・ライン」(税引き後利益)に残る収益に与るべき存在だ。
私はウォール街で働いてはいるが、ウォール街的な考え方をそのまま日本に持ち込むことには批判的だ。
日本人は、日本人の心で感じ、自らの頭で考え、自分たちに相応しい金融システムを構築すべきである。
一受け入れがたい価値観を拒否する権利を当然に持っている世界の強欲資本主義者の考え方に迎合する必要がどこにあるだろう。
むしろそれを拒絶することにこそ日本の存在意義がある。
私は日本の人たちに、世界のわずか五パーセント足らずの強欲資本主義者たちから、世界の九五パーセントにも達する一般庶民を護る砦を築くことさえ期待したいのである。
何故なら、日本人の心の中には、いまだ利他の心や徳を重んずる高貴な精神が残っていると信ずるからである。
アメリカでも全ての人が強欲資本主義者になってしまったわけではない。
サイレント・マジョリティーと呼ばれる大半の人は、健全な金銭感覚を持ち、敬虐なクリスチャンとして、深い信仰心を維持している。
キリスト教は強欲を大きな罪としている。
だからこそオバマ始め、何人もの大統領候補が反ウォール街という公約を打ち出したのだ。
「グローバル・スタンダード」の貢何故、世界は「グローバル・スタンダード」に統一しなければいけないのだろうか。
グローバル・スタンダードを推進している中心人物は、間違いなく米国の巨大投資銀行のトップたちであろう。
きわめて単純化すれば、証券の世界における販売システムが、世界で十社にも満たない巨大投資銀行(預金金融機関の投資銀行部門も含む)に握られているといっていい。
彼らは、自分たちが扱いやすいように、あらゆる証券を「定型化された商品」にしようとしている。
つまり、自分たちが売買しやすいように取引条件を規格化するのだ。
もちろん、それは証券だけに限らない。
原油やとうもろこし、大豆、コーヒー豆のように、彼らが創った商品取引の仕組みのなかに、さまざまな商品を組み込んで行くほど、彼らの旨味と市場支配力は増していく。
世界各国の証券市場が、自分たちのルールを採用してくれるほど、自分たちの商圏、支しかし、経済の世界でも、政治の世界でも、一握りの金融権力者が持つ力が余りにも強くなってしまった。
そこに問題があるのである。
今日の儲けは僕のもの、明日の損は君のもの配力は増す。
彼らのようなボリュームを追う人たちが、もっとも忌み嫌うのは「個性」だ。
証券、商品それぞれの個性をなくすほど、束ねることが楽になるからだ。
大規模に相場を張れるだけでなく、いくつかの証券(商品)を束ねて新たな証券(仕組み証券・仕組み商品)を作れば、それでまた商売の幅を広げることができる。
巨大投資銀行は薄いマージンで、統一化した(専門家はこれをコモディティー化すると呼ぶ)商品を大規模に扱い、ボリュームを追うことを目指す。
ボリュームが膨らむほど、僅かな価格差でも巨額の収益を上げることが出来る。
一方、私が経営しているような小さな投資銀行は、顧客の個性を最大限に活かし、投資家と発行者を直接繋ぐ相対の取引に専門化している。
手間隙かかる、面倒くさい取引を丹念につくることに付加価値を見出している。
仮に「グローバル・スタンダード」がなくても、ビジネスモデルとして十分にやっていけるし、「強欲」とも無縁のスタイルだ。
しかし、巨大投資銀行は「強欲資本主義」の申し子になってしまった。
だからこそ、「グローバル・スタンダード」がどうしても必要なのだ。
日本には、こうした巨大投資銀行を見習って「強欲」なビジネスを行っている金融機関もあるが、彼らと伍して競争することはできるのだろうか。
ウォール街で彼らの実力を見ている限り、それは非常に難しいと言わざるをえない。
何よりも、日本から赴任してくる金融機関幹部は、ウォール街でのバンカーの「仕事の仕方、考え方」を十分に理解し、理解した上で彼らを使いこなすということがほとんど不可能だからだ。
日本の金融機関幹部で米国支店トップになる場合、おそらく本社の常務、専務といった肩書きを持っていると思う。
彼らの多くは家族を日本に残しての単身赴任で、任期は二年、長くても五年程度だ。
欧州系の銀行幹部には米国永住権を取得して、この地に骨を埋めることを前提に赴任してくるケースもあるが、日本人ではまず居ない。
日本の金融機関の米国支店日本人トップは、自分が赴任している間に業績を上げようとする。
そこで儲かりそうな業務を行うために、他行から腕利きと評判のバンカーを引き抜き、合意された権限で仕事を任せる。
こうしたビジネス・スタイルがほとんどだが、これはバランス・シートを貸す大家のようなもので、引き抜かれたバンカーは店子だ。
店子・バンカーは借りたバランス・シートを存分に利用して、できるだけ大きく儲けようとする。
店子バンカーの特徴は、自分の部下たち一族郎党をワンセットで連れてくる点にある。
彼の部下たちは、自分のボスに忠実であるけれどもバランス・シートを貸している大家になど、これっぽっちの忠誠心も持たない。
大家に対してはあたかもそれを持っているかのように振る舞っているに過ぎないのだ。
彼らは、毎年自分たちが上げた収益の何割かを報酬として受け取る。
利益を上げているうちは、ボスはもちろん、一族郎党も大金持ちになれる。
市場環境が良ければ、一人当たりの年俸は数千万ドル、数億ドルにもなる。
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